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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)12585号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 内藤満

右訴訟復代理人弁護士 井手聰

被告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 椎名麻紗枝

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物一階、地階の別紙図面斜線部分を退去して明渡せ。

2  被告は原告に対し、昭和六〇年二月一九日から右明渡済まで一月当り金五万円の割合の金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  二項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は別紙物件目録記載の建物を所有している。

2  原告と被告は、昭和五三年二月六日ころ、原告において被告に前記建物一階、地階の別紙図面斜線部分(以下、本件建物部分という)約四六・二〇平方メートルを無償で使用させることをおのおの約して建物使用貸借契約を締結した。

3  原告は前同日ころ、本件建物部分を引渡した。

4  原告は、本件訴状を以て被告に対し、前記使用貸借契約を解約のうえ、同契約目的である建物部分の返還を請求した。

5  本件建物全体の内相当部分は共同住宅であり、その家賃との対比から見ても、被告の本件建物部分の使用によって原告が被る損害は、一月当り金五万円を下らない。

6  よって原告は被告に対し、所有権または使用貸借契約の解約に基づいて本件建物部分の明渡及び、不法行為に基づいて本件訴状到達の日である昭和六〇年二月一九日から右明渡済まで一月当り金五万円の割合の損害賠償を請求する。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は、原・被告間に締結されたのが使用貸借契約であるとの点は争うが、その余は否認する。原・被告間に締結されたのは後記のとおり賃貸借契約である。

3  同3は認める。

4  同4ないし6は争う。

三  抗弁

1  賃借権(もしくはそれに準じるもの)

原告が使用貸借契約が成立したと主張する日に、原告と被告及び被告の妻は、養子縁組をした。原告が養子縁組をした目的は、被告らに「甲野」の氏を継がせることと、老後の生活を見てもらうことの二点であり、原告と被告ら夫婦は、右養子縁組をする際に、老齢である原告の身のまわりの世話及び第三者に賃貸している本件建物の二階部分の管理を、被告ら夫婦が行なうことを条件として、本件建物部分を賃借し入居するにいたったものであり、いわゆる無償を要件とする使用貸借契約ではない。従って、本件貸借契約は、有償であるから、解約については、借家法の規定が準用されるべきである。

2  使用借権

仮に本件貸借が原告主張のとおり使用貸借であるとしても、次のとおり、使用貸借は存続しているから、原告には明渡請求権は発生しない。

(一) 使用収益の目的の定め

被告らが本件建物部分に入居するにいたったのは、前記のとおり原告との養子縁組の要請に基づいて原告と同じ建物に居住することになったものである。

従って、本件建物部分の使用は、養子縁組に付随してなされたものであり、養子縁組が解消されないかぎり、解約されないものとして、当事者とりわけ被告は期待して契約関係に入ったものである。従って、原、被告間の養子縁組の離縁は認められていない以上、契約に定めた目的に従った使用収益は終わっておらず、原告の明渡請求は認められない。

(二) 解約権の濫用

被告ら一家は、前記養子縁組に伴ない、原告の要請に応じて、従前被告が賃借していた松戸の公団住宅から退去して、移転してきたものである。被告自身はもちろん妻もまた子供達も転居、転校のために、経済的にも精神的にも多大の犠牲を負った。従って、もし、本件貸借が使用貸借であるからといって、原告が一方的に解約申入れすることが許されるとしたら、被告はもちろん被告の家族も多大の迷惑を被ることになる。このような解約申入れは、権利の濫用として許されるものではない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1中、被告主張の目的で、被告主張の日に原告と被告及び被告の妻との間に養子縁組がなされたことは認めるが、その余は否認する。

右二階部分(アパート)は、専ら原告が管理をしており、修繕の依頼、毎月の賃料の集金(賃借人が原告の居室に持参)、掃除は全て原告が行なっている。前記養子縁組直後には、原告が被告の妻に右アパートの掃除を頼んだことは数度あるが、それ以上に被告夫婦が右アパートの管理に関与した事実はない。

また、仮に被告主張のような合意が原告と被告間にあったとしても、やはり本件貸借契約が賃貸借契約となることはあり得ない。

第一に、確かに賃料は役務の提供によって行なわれることは皆無ではなかろうが、その場合、提供される役務の内容は、契約の時点で特定していることを必要とする。しかるに、被告が提供を約したと称する役務は、原告の身の回りの世話としていかなる行為を行ない、かつ、本件建物の管理として何を行なうかについて、明確さを欠き、今だ債務内容として特定しているとはいえない。

第二に被告ら夫婦は、原告の養子であって、高齢の原告を扶養する義務を負う(民法八七七条一項)。従って、原告・被告間で被告の主張するような合意が存在したとしても、既に存在する義務を改めて確認する以上の意味はない。

2  抗弁2(一)、(二)は全て争う。

原告と被告並びに被告の妻である甲野春子(以下、春子という。)は、昭和五三年二月六日、養子縁組を行ない、原告と被告夫婦間には養親子関係が成立した。被告ら夫婦は、昭和五三年八月初旬頃から原告の提供した本件建物に引越してきた。

ところが、原告と被告夫婦間に実質的な養親子関係が存続したのは、被告夫婦が本件建物に引越して来た後、わずか約三か月間一緒に食事をしたことがある程度であって、その後は一応儀礼的な挨拶を交わすのがせいぜいで、むしろ互いに避けるように生活をしているのが現実である。

そこで、原告は被告夫婦に対して「継続し難い重大な事由」を理由として離縁請求訴訟を御庁に提起した。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び3の事実は当事者間に争いがない。

二  賃借権(もしくはそれに準じるもの)の抗弁について

昭和五三年二月六日、原告と被告及び被告の妻との間に養子縁組がなされ、被告夫婦は原告の養子となったこと、右養子縁組の目的は、被告夫婦に原告の「甲野」の氏を継がせることと、被告夫婦に原告の老後の生活をみてもらうことの二点であったことは当事者間に争いがない。

被告は、本件貸借には、被告夫婦において原告の身のまわりの世話及び第三者に賃貸している本件建物の二階部分(アパート)の管理を行なうことが条件であったから、本件貸借は賃貸借もしくはそれに準じるもので借家法の規定が準用されるべきであると主張し、《証拠省略》によれば、被告夫婦は、本件養子縁組の直後には、原告の依頼によって右アパートの掃除をし、アパートの各戸の電気・ガス料金の計算をしたりして原告の右アパート管理を手伝い、原告と一緒に食事をするなど、原告の身のまわりの世話をしていたことは認められるが、更に、右アパートの賃料の集金など、主要なアパート管理は終始原告が行なっており、被告夫婦の手伝は、管理のごく一部に過ぎなかったこと、原告と被告夫婦が一緒に食事をした期間も約三か月間に過ぎないことなどの事実も認められ、被告夫婦の右役務の提供が本件建物部分の貸借の対価の実質を有していたものとは到底認めることができず、これらを本件建物部分の対価とする旨の合意の存在を認めるに足りる証拠も存在せず、被告夫婦の右役務の提供は、養親子関係の発生に伴なう親子間の相互扶助の域を出ないものと解される。

従って、本件貸借をもって、賃借権(もしくはそれに準じるもの)とする被告の主張は理由がない。

三  使用借権の抗弁について

本件養子縁組とともに、被告が原告から本件建物部分の使用収益を許され、少なくとも使用借権を取得したことは原告も認めるところであり、争いがない。

また、原告が被告に対し、本件訴状で右使用貸借を解約し、本件建物部分の返還を求めていることは記録上明らかである。

被告は、養子縁組継続が右使用貸借の目的であったと主張し、また、原告の解約申入れは権利の濫用であると主張するので、これらの点について検討する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、明治三八年三月二八日生まれで、子はなく、昭和四五年一月一五日に夫甲野太郎が死亡した後は、本件建物の賃料収入(毎月一〇万円程度)と老齢福祉年金の受給(年三〇万一二〇〇円)によって生活してきた。

2  原告は、高血圧症、白内障などの病歴を有し、子もいないことから、以前から養子をとって自分の老後の世話を頼むとともに、「甲野」の氏を残したいと考えており、夫太郎が存命中に一度妹である乙山松子と養子縁組をしたこともあったが、乙山松子の結婚相手が気に入らなかったために離縁し、以後適当な養子を物色していた。

3  原告は、昭和五二年夏ころ、被告の兄から、被告を養子にとってはどうかとすすめられ、被告を養子にとろうと考えるようになった。被告は、原告の弟の子で、原告とは甥・伯母の関係にあったが、原告と被告は、原告が中学生のころに一度会ったことがあるだけの付き合いしかなかった。

4  当時、被告の氏は「乙山」であり、昭和四〇年に結婚した妻花子と、一一歳、九歳、八歳の三人の子とともに、千葉県松戸市所在の住宅公団のアパートに住み、タクシー運転手として働いていた。

5  原告は被告を電話で自宅に呼んで養子縁組の申入れをし、原告の住んでいる本件建物に引越して来てほしいと頼んだ。被告は原告の申入れについて妻や田舎にいる母親に相談したところ、母親は賛成したが、妻は、氏が変わることが、子供達に与える影響の大きさや、東京都板橋区にある本件建物に引越すということになれば、子供達が転校する必要が生じることなどから、これに反対した。

6  その後、被告の家族と原告との接触が何度かもたれ、そのうち、被告の妻や子供達も原告と被告ら夫婦の養子縁組に賛成するようになり、昭和五三年二月六日、被告夫婦が「甲野」の氏を称し、原告の老後の生活をみることを主たる目的として、本件養子縁組がなされ、子供達の氏も「乙山」から「甲野」へと変更された。

7  そして、養子縁組の際の約束に従って、子供達の転校手続に都合の良い昭和五三年八月、被告の家族は本件建物部分に引越し、子供達はそれぞれ転校した。被告の家族の本件建物部分への引越しは、原告の強い希望によるもので、被告は当然無償で使用できるものと考えていたし、原告も家賃の要求は一切しなかった。

8  原告は、本件建物部分の隣の独立した建物部分に居住しており、被告の家族が引越してから約三か月間は、被告の妻が食事を作って原告の居住している建物部分に運び、原告と被告の家族がそこで一緒に食事をとり、原告の依頼で被告の妻が本件建物の二階(アパート)の掃除をしたり、医者から高血圧の薬をもらってくるなど、原・被告の関係は円満であった。

ところが、昭和五三年一一月ころ、突然原告は、被告の家族と一緒に食事をすることを拒否し、被告や被告の家族に対し、原告方に勝手に入り込み、原告のスリッパや布団の綿を取り替えた、電気製品(テレビ、クーラー、掃除機など)の中身を取り替えた、タンスを取り替えたなどと言いはじめ、被告や被告の妻がこれをいくら否定しても耳を貸そうとしなくなり、「泥棒」、「ゴキブリ」などと悪態をつくようになった。被告は、原告の通院している医者に相談するなどして、その対応に苦慮したが、結局、有効な対応策もないまま今日に至った。

9  原告は、昭和五四年に被告夫婦に対して離縁の調停を申し立てたが、被告夫婦がこれに応じなかったため、昭和五九年に当庁に離縁請求訴訟を提起した。右訴訟の第一審判決は、養親子関係悪化の原因は専ら原告にあることなどを理由に原告の請求を棄却し、右訴訟は控訴審で争われている。

10  被告及び被告の家族は、原告からの強い要望によって養子縁組、氏の変更、転校などをしたのに、「泥棒」などと言われて離縁され、あるいは本件建物部分から追い出されたのでは自分達の名誉にかかわるし、再び氏の変更や転居を強いられることにも耐えがたい(被告は現在個人タクシーを営んでおり、氏の変更や転居がその営業に影響を与えると考えている。)として、離縁や本件建物の明渡を拒んでいる。被告としては、養親子関係が継続している限り、将来原告の身体が不自由になったときは、その扶養・看護にあたる意思を有している。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件使用貸借は、本件養子縁組によって、原告と被告夫婦との間に養親子関係が発生したことに伴ない、原告と被告夫婦がともに本件建物に住むことによって、親子が一緒に食事をし、子が親の生活を助けるなど、実質的な親子関係を形成し、被告夫婦において原告の老後の生活をみるという本件養子縁組の目的を達成するために締結されたもので、その意味では、被告主張のとおり、本件養子縁組に付随するものであると認めることができる。

しかし、実質的な親子関係形成の便のために本件使用貸借が締結されたということから考えても、たとえ原告または被告に本件使用貸借の継続に不都合な事情が発生しても、本件養子縁組が解消されない限り絶対に本件使用貸借は終了しないと考えて原・被告が本件使用貸借契約を締結したもの、すなわち、本件養子縁組の継続を直接その目的としたものとは解されず、原・被告の意識としては、円満な養親子関係が続き、原告または被告に本件使用貸借の継続に不都合な事情が発生しない限り、本件使用貸借は自然、継続されることになると考えていたに過ぎないものと解される。

従って、本件養子縁組継続が本件使用貸借の目的であり、本件養子縁組が解消されない限り本件使用貸借は終了しない旨の被告の主張は理由がない。

しかしながら、右に述べたとおり、原・被告は、円満な養親子関係が続き、原告または被告に本件使用貸借の継続に不都合な事情が発生しない限り、本件使用貸借は当然のこととして継続されるものと考えて本件使用貸借契約を締結したものであり、被告としても、本件使用貸借が原告の一方的意思によっていつ何どき解約されるかも知れない不安定なものではなく、右のような意味での継続性、安定性をもったもので、合理的な理由がなければ解約されないものと信じて、前記認定のとおり、子供達の転校等の犠牲を払って本件建物部分に引越したものと認められる。そして、前記認定事実によれば、原告と被告夫婦の養親子関係は円満な状態にないことは明らかであるが、養親子関係の問題と別に本件使用貸借契約の継続に不都合な新たな事情が発生したとも認められないし、養親子関係悪化の主たる原因は原告側にあり、従って、現在までのところ離縁も認められておらず、被告としては、現在においても、原告の身体が不自由になったときは、その扶養・看護にあたる意思を有していることが認められるうえ、被告及びその家族は既に八年近く本件建物部分に居住しており、更に転居するとなると、被告及びその家族の不利益も大きいという事情も認めることができる。さらに、前記認定事実によれば、原告の離縁の意思自体、原告の真に理性的な判断に基づくものか疑いのないわけではなく、八一歳という原告の年齢や病歴から考えても、離縁の認められない限り、原告に対して扶養義務を負っている被告夫婦が本件建物部分から転居することが客観的に見て原告に利益になるとは考えがたい。

従って、離縁の認められていない現時点においては、原告の解約申入れは、被告の使用貸借継続の信頼を裏切り、被告の利益を不当に害する結果となる反面、原告にとっても特段の利益はなく(本件建物部分の家賃収入は増えることになるが、原告の身体が不自由になったときに扶養義務者である被告夫婦から扶養・看護をしてもらうということは極めて困難となる)、被告主張のとおり権利の濫用となるものというべきである。

従って、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

四  結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福田剛久)

〈以下省略〉

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